WGP500に興味を持ったのは、深夜にやっていたモータースポーツを含むいろいろな競技を紹介する番組。確か司会者は古舘一郎だったかな?そこにケニー・ロバーツ(キング・ケニー)がスタートに失敗して、最後尾から追い上げ、トップでゴールするというシーンが流れた。世の中には凄い人がいるものだと、番組自体はハングオフの時にペダルから足が離れるのはランディ・マモラの脚が短いということに集中していたか?それからWGP500に注目をはじめてフレディ・スペンサー、エディー・ローソンやワイン・ガードナーが活躍する姿を見た。片山敬済、平忠彦がいた。GPライダーは皆ヒーローだった。そこに現れたのがヤマハのマシン(YZR500)に乗るウェイン・レイニーだった。ヤマハのマシンはホンダのマシン(NSR500)に比べるとストレートの速度に劣り、パワーで劣勢と言われていた。そんな不利な状況にも関わらず、ストレートで抜かれてもコーナーを誰よりも早く旋回し、3年続けてワールドチャンピオンの座を射止めた。アメリカンライダーの特徴であるタイヤのグリップが摩耗で落ちてもスライドさせながらコーナーを回るのを得意としてた。ライバルを寄せ付けずレイニーの独走が続くのかと思われていた頃に彗星のごとく現れたのがケビン・シュワンツだった。彼はスズキのマシン(RGV500Γ)を駆り、ホンダやヤマハよりもパワーで劣るが重量が軽いマシンの特製を活かして、コーナーで誰よりも深くブレーキングを遅らせて突っ込み、追い抜かれてもコーナーの突っ込みで抜き返すことを得意としていた。コーナーリングの得意なレイニーとのバトルは衝撃的でスタートからフィニッシュまでコーナーごとに抜きつ抜かれつを続けるという展開を毎レースごとに繰り広げた。最終コーナーを過ぎてもどちらが先にフィニッシュラインを通過するかわからない僅差の勝負が続いた。当時はセナ・プロの時代とも重なり、モータースポーツの黄金時代だったと思う。週末に2輪のロードレースとF1を交互にテレビ観戦することが楽しみだった。そんな時に目撃したレイニーの転倒は衝撃的だった。ハイサイドで転倒し全く動けなくなった。彼はそのまま半身不随となりレースを引退した。その年にレイニーとチャンピオンシップを争っていたシュワンツはレイニーの脱落によりワールドチャンピオンになった。その時の彼の言葉は「レイニーの怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」だった。そして、ライバルの引退にモチベーションを落としたことと負傷した左手首の影響により2年後に引退した。1993年のレイニーの転倒引退。1994年のセナの事故死。1995年のシュワンツの引退と自分にとっては辛いことが続く頃だったかな。 そして、昨年(2013年)鈴鹿の8耐にチームカガヤマからシュワンツが参戦。レイニーカラーのヘルメットを被って伝説のライダーは戻ってきた。49歳にもなるのに、予選でトップライダーから2秒落ち以内のタイムをマークし、決勝ではさらに差を詰め3位表彰台を獲得した。Uストリームの中継に夢中になり、シュワンツの姿に鳥肌が立った。疲労で動けなくなり表彰台に上がる姿を見ることが出来なかったのは残念だったけど、そんなじじぃの星が今年も鈴鹿に戻ってきた。伝説のライダーの走りをどうしてもこの目で見たくて、鈴鹿に向かった。
チームメートは青木宣篤(42歳)、辻本聡(54歳)と超ロートルチーム。青木が全体で9位の一次予選通過で、ファイナル10の予選にケビンと参加。予選10位を獲得。凄い!ところが決勝はウェットの悪コンディションで、張り切りすぎた青木がわずか5周で転倒リタイヤ。決勝でケビンの写真をたくさん撮ろうと思っていたのに、こんなピンボケのしょうもない写真しか撮れなかった。
80-400mmズームレンズを購入。1脚を忘れて手に持ってマニュアルフォーカスで撮影。自信がなかったのでシャッター速度を1/250くらいで撮影。レンズの重さに途中で根を上げる。 以下、控えめな流し撮り。ピントボケボケ写真。もちろん、トリミング修正済。